313ページ
召し取って、その魂を密厳浄土へつかわすという法なり。その行者の人々もまた軽からず。天台座主・慈円、東寺、御室、三井の常住院の僧正等の四十一人、ならびに伴僧等三百余人なり云々。
法といい、行者といい、また代も上代なり。いかにとしてまけ給いけるぞ。たといかつことこそなくとも、即時にまけおわりて、かかるはじにあいたりけること、いかなるゆえということを、余人いまだしらず。国主として民を討たんこと、鷹の鳥をとらんがごとし。たといまけ給うとも、一年二年、十年二十年もささうべきぞかし。五月十五日におこりて六月十四日にまけ給いぬ。わずかに三十余日なり。権大夫殿はこのこと兼ねてしらねば、祈禱もなし、かまえもなし。
しかるに、日蓮、小智をもって勘えたるに、その故あり。いわゆる彼の真言の邪法の故なり。僻事は、一人なれども万国のわずらいなり。一人として行ずとも、一国二国やぶれぬべし。いわんや三百余人をや。国主とともに法華経の大怨敵となりぬ。いかでかほろびざらん。かかる大悪法、としをへて、ようやく関東におち下って、諸堂の別当・供僧となり、連々と行ぜり。本より辺域の武士なれば、教法の邪正をば知らず。ただ三宝をばあがむべきこととばかり思うゆえに、自然としてこれを用いきたりて、ようやく年数を経るほどに、今他国のせめをこうむって、この国すでにほろびなんとす。関東八箇国のみならず、叡山・東寺・園城・七寺等の座主・別当、皆、関東の御はからいとなりぬるゆえに、隠岐法皇のごとく、大悪法の檀那と成り定まり給いぬるなり。
国主となることは、大小、皆、梵王・帝釈・日月・四天の御はからいなり。法華経の怨敵となり定まり給わば、たちまちに治罰すべきよしを誓い給えり。したがって、人王八十一代安徳天皇に太政入
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
---|---|---|---|
(014)本尊問答抄 | 弘安元年(’78)9月 | 57歳 | 浄顕房 |