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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

り給いて後、真言宗を立てしかば、華厳・法華等の諸宗はもっての外にくだされき。上一人より下万民に至るまで、「真言には法華経は雲泥なり」と思いしなり。その後、徳宗皇帝の御宇に、妙楽大師と申す人、「真言は法華経にあながちにおとりたり」とおぼしめししかども、いたく立つることもなかりしかば、法華・真言の勝劣を弁える人なし。
 日本国は人王三十代欽明の御時、百済国より仏法始めて渡りたりしかども、始めは神と仏との諍論こわくして三十余年はすぎにき。
 三十四代推古天皇の御宇に、聖徳太子始めて仏法を弘通し給う。恵灌・観勒の二りの上人、百済国よりわたりて三論宗を弘め、孝徳の御宇に、道昭、禅宗をわたす。天武の御宇に、新羅国の智鳳、法相宗をわたす。第四十四代元正天皇の御宇に、善無畏三蔵、大日経をわたす。しかれども弘めず。聖武の御宇に、審祥大徳・良弁僧正等、華厳宗をわたす。人王四十六代孝謙天皇の御宇に、唐代の鑑真和尚、律宗と法華宗をわたす。律をばひろめ、法華をば弘めず。
 第五十代桓武天皇の御宇に、延暦二十三年七月、伝教大師、勅を給わって漢土に渡り、妙楽大師の御弟子道𨗉・行満に値い奉って法華宗の定・慧を伝え、道宣律師に菩薩戒を伝え、順暁和尚と申せし人に真言の秘教を習い伝えて、日本国に帰り給いて「真言・法華の勝劣は、漢土の師のおしえによっては定め難し」と思しめしければ、ここにして、大日経と法華経と、彼の釈とこの釈とを引き並べて勝劣を判じ給いしに、「大日経は法華経に劣りたるのみならず、大日経の疏は天台の心をとりて我が宗に入れたりけり」と勘え給えり。