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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

唐、漢土の会昌天子の御宇なり。法全・元政・義真・法月・宗叡・志遠等の天台・真言の碩学に値い奉って、顕密の二道を習い極め給う。その上、殊に真言の秘教は十年の間、功を尽くし給う。大日如来よりは九代なり。嘉祥元年、仁明天皇の御師なり。仁寿・斉衡に金剛頂経・蘇悉地経の二経の疏を造り、叡山に総持院を建立して第三の座主となり給う。天台の真言、これよりはじまる。
 また智証大師は、讃岐国の人、天長四年、御年十四、叡山に登り、義真和尚の御弟子となり給う。日本国にては義真・慈覚・円澄・別当等の諸徳に八宗を習い伝え、去ぬる仁寿元年に文徳天皇の勅を給わって漢土に入り、宣宗皇帝の大中年中に、法全・良諝和尚等の諸大師に七年の間顕密の二教習い極め給いて、去ぬる天安二年に御帰朝。文徳・清和等の皇帝の御師なり。いずれも、現のため当のため、月のごとく日のごとく、代々の明主、時々の臣民、信仰余り有り、帰依怠りなし。故に、愚癡の一切、ひとえに信ずるばかりなり。
 誠に、「法に依って人に依らざれ」の金言を背かざるの外は、いかでか、仏によらずして弘法等の人によるべきや。詮ずるところ、その心いかん。
 答う。夫れ、教主釈尊の御入滅一千年の間、月氏に仏法の弘通せし次第は、先の五百年は小乗、後の五百年は大乗。小大・権実の諍いはありしかども、顕密の定めはかすかなりき。
 像法に入って十五年と申せしに、漢土に仏法渡る。始めは儒道と釈教と諍論して定めがたかりき。されども、仏法ようやく弘通せしかば、小大・権実の諍論いできたる。されども、いたくの相違もなかりしに、漢土に仏法渡って六百年、玄宗皇帝の御宇、善無畏・金剛智・不空の三三蔵、月氏より入