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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

諸経、しかもこの経の中において、法華は最も第三なり」云々。また慈覚・智証大師の読み給う様に云わく「諸経の中において最もその中に在り」。また「最もこれ第二なり」等云々。
 釈迦如来・多宝仏・大日如来・一切の諸仏、法華経を一切経に相対して説いてのたまわく「法華は最も第一なり」。また説いて云わく「法華は最もその上に在り」云々。詮ずるところ、釈迦・十方の諸仏と、慈覚・弘法等の三大師と、いずれを本とすべきや。ただ、事を日蓮によせて、釈迦・十方の諸仏には永く背いて三大師を本とすべきか、いかん。
 問う。弘法大師は讃岐国の人、勤操僧正の弟子なり。三論・法相の六宗を極む。去ぬる延暦二十三年五月、桓武天皇の勅宣を帯びて漢土に入り、順宗皇帝の勅によって青竜寺に入って、恵果和尚に真言の大法を相承し給えり。恵果和尚は、大日如来よりは七代になり給う。人はかわれども、法門はおなじ。譬えば、瓶の水をなお瓶にうつすがごとし。大日如来と金剛薩埵・竜猛・竜智・金剛智・不空・恵果・弘法との瓶は異なれども、伝うるところの智水は同じき真言なり。
 この大師、彼の真言を習って、三千の波濤をわたりて日本国に付き給うに、平城・嵯峨・淳和の三帝にさずけ奉る。去ぬる弘仁十四年正月十九日に東寺を建立すべき勅を給わって、真言の秘法を弘通し給う。しかれば、五畿七道、六十六箇国・二つの島にいたるまでも、鈴をとり杵をにぎる人、たれかこの人の末流にあらざるや。
 また、慈覚大師は、下野国の人、広智菩薩の弟子なり。大同三年、御歳十五にして伝教大師の御弟子となりて、叡山に登って十五年の間、六宗を習い、法華・真言の二宗を習い伝う。承和五年御入