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の御誕生・御入滅の両日を奪い取って、十五日は阿弥陀仏の日、八日は薬師仏の日等云々。一仏誕入の両日を、東西二仏の死生の日となせり。これあに不孝の者にあらずや、逆路・七逆の者にあらずや。人ごとにこの重科有って、しかも人ごとに我が身は科なしとおもえり。無慙無愧の一闡提人なり。
法華経の第二の巻に主と親と師との三つの大事を説き給えり。一経の肝心ぞかし。その経文に云わく「今この三界は、皆これ我が有なり。その中の衆生は、ことごとくこれ吾が子なり。しかるに今この処は、諸の患難多し。ただ我一人のみ、能く救護をなす」等云々。またこの経に背く者を文に説いて云わく「また教詔すといえども、信受せず乃至その人は命終して、阿鼻獄に入らん」等云々。
されば、念仏者が本師の導公は「その中の衆生」の外か。「ただ我一人のみ」の経文を破って、「千の中に一りも無し」といいし故に、現身に狂人と成って楊柳に登って身を投げ、堅土に落ちて死にかねて、十四日より二十七日まで十四日が間、顚倒し狂死し畢わんぬ。また真言宗の元祖、善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵等は、親父を兼ねたる教主釈尊法王を立て下して大日他仏をあがめし故に、善無畏三蔵は閻魔王のせめにあずかるのみならず、また無間地獄に堕ちぬ。汝等このこと疑いあらば、眼前に閻魔堂の画を見よ。金剛智・不空のことはしげければかかず。また禅宗の三階信行禅師は法華経等の一代聖教をば別教と下す。我が作れる経をば普経と崇重せし故に、四依の大士のごとくなりしかども、法華経の持者の優婆夷にせめられてこえを失い、現身に大蛇となり、数十人の弟子を吞み食らう。
今、日本国の人々は、たとい法華経を持ち釈尊を釈尊と崇重し奉るとも、真言宗・禅宗・念仏者を
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(013)下山御消息 | 建治3年(’77)6月 | 56歳 | 下山光基 |