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入りぬ。その上は、国主の用い給わざらんに、それ已下に法門申して何かせん。申したりとも、国もたすかるまじ。人もまた仏になるべしともおぼえず。
また「念仏無間地獄、阿弥陀経を読むべからず」と申すことも、私の言にはあらず。夫れ、弥陀念仏と申すは、源、釈迦如来の五十余年の説法の内、前四十余年の内の阿弥陀経等の三部経より出来せり。しかれども、「如来の金言なれば、定めて真実にてこそあるらめ」と信ずるところに、後八年の法華経の序分たる無量義経に、仏、法華経を説かせ給わんために、まず四十余年の経々ならびに年紀等をつぶさに数えあげて、「いまだ真実を顕さず乃至終に無上菩提を成ずることを得ず」と、そこばくの経々ならびに法門をただ一言に打ち消し給うこと、譬えば、大水の小火をけし、大風の衆の草木の露を落とすがごとし。しかる後に、正宗の法華経の第一巻に至って、「世尊は法久しくして後、要ず当に真実を説きたもうべし」、また云わく「正直に方便を捨てて、ただ無上道を説くのみ」と説き給う。譬えば、闇夜に大月輪の出現し、大塔を立てて後、足代を切り捨つるがごとし。
しかる後、実義を定めて云わく「今この三界は、皆これ我が有なり。その中の衆生は、ことごとくこれ吾が子なり。しかるに今この処は、諸の患難多し。ただ我一人のみ、能く救護をなす。また教詔すといえども、信受せず乃至経を読誦し書持することあらん者を見て、軽賤憎嫉して、結恨を懐かん。その人は命終して、阿鼻獄に入らん」等云々。経文の次第、普通の性相の法には似ず。常には五逆・七逆の罪人こそ阿鼻地獄とは定めて候に、これはさにては候わず。在世・滅後の一切衆生、阿弥陀経等の四十余年の経々を堅く執して法華経へうつらざらんと、たとい法華経へ入るとも本執を捨て
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(013)下山御消息 | 建治3年(’77)6月 | 56歳 | 下山光基 |