うに、竜樹菩薩・提婆菩薩・仏陀密多・師子尊者のごとく、いよいよ強盛に申しはる。
今度、法華経の大怨敵を見て、経文のごとく、父母・師匠・朝敵・宿世の敵のごとく散々に責むるならば、定めて万人もいかり、国主も讒言を収めて、流罪し、頸にも及ばんずらん。その時、仏前にして誓状せし梵釈・日月・四天の願をもはたさせたてまつり、「法華経の行者をあだまんものを須臾ものがさじ」と起請せしを、身にあてて心みん。釈尊・多宝・十方分身の諸仏の、あるいは共に宿し、あるいは衣を覆われ、あるいは守護せんとねんごろに説かせ給いしをも、実か虚言かと知って信心をも増長せんと退転なくはげみしほどに、案にたがわず、去ぬる文永八年九月十二日、すべて一分の科もなくして佐土国へ流罪せらる。外には遠流と聞こえしかども、内には頸を切ると定めぬ。
余、また、兼ねてこのことを推せし故に、弟子に向かって云わく「我が願、既に遂げぬ。悦び身に余れり。人身は受けがたくして破れやすし。過去遠々劫より由なきことには身をば失いしかども、法華経のために命をすてたることはなし。我、頸を刎ねられて、師子尊者が絶えたる跡を継ぎ、天台・伝教の功にも超え、付法蔵の二十五人に一りを加えて二十六人となり、不軽菩薩の行にも越えて釈迦・多宝・十方の諸仏にいかがせんとなげかせまいらせん」と思いし故に、言をもおしまず、已前にありしこと、後にあるべきことの様を平金吾に申し含めぬ。この語しげければ、委細にはかかず。
そもそも、日本国の国主となりて、万事を心に任せ給えり。何事も両方を召し合わせてこそ勝負を決し御成敗をなす人の、いかなれば、日蓮一人に限って、諸僧等に召し合わせずして大科に行わるるらん。これひとえに、ただ事にあらず。たとい日蓮は大科の者なりとも、国は安穏なるべからず。御
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(013)下山御消息 | 建治3年(’77)6月 | 56歳 | 下山光基 |