わさんと思うところに、両火房常に高座にして歎いて云わく「日本国の僧尼には二百五十戒・五百戒、男女には五戒・八斎戒等を一同に持たせんと思うに、日蓮がこの願の障りとなる」と云々。
余、案じて云わく「現証に付いて事を切らん」と思うところに、彼常に雨を心に任せて下らす由、披露あり。古もまた雨をもって得失をあらわす例これ多し。いわゆる伝教大師と護命と、守敏と弘法と等なり。ここに「両火房、上より祈雨の御いのりを仰せ付けられたり」と云々。ここに、両火房祈雨あり。去ぬる文永八年六月十八日より二十四日なり。ここに、使いを極楽寺へ遣わす。「年来の御歎きこれなり。七日が間にもし一雨も下らば、御弟子となりて二百五十戒つぶさに持たん上に、『念仏無間地獄と申すこと、ひがよみなりけり』と申すべし。余だにも帰伏し奉らば、我が弟子等をはじめて日本国大体かたぶき候いなん」と云々。七日が間に三度の使いをつかわす。しかれども、いかんがしたりけん、一雨も下らざるの上、頽風・飆風・旋風・暴風等の八風、十二時にやむことなし。あまつさえ、二七日まで一雨も下らず、風もやむことなし。されば、このことは何事ぞ。和泉式部といいし色好み、能因法師と申せし無戒の者、これは彼の両火房がいむところの三十一字ぞかし。彼の月氏の大盗賊、「南無仏」と称せしかば、天頭を得たり。彼の両火房ならびに諸僧等の二百五十戒、真言・法華の小法・大法の数百人の仏法の霊験、いかなれば、婬女等の誑言、大盗人が称仏には劣るらんとあやしきことなり。これをもって彼らが大科をばしらるべきに、さはなくして、還って讒言をもちいらるるは、実とはおぼえず。詮ずるところは、日本国亡国となるべき期来るか。
また祈雨のことは、たとい雨を下らせりとも、雨の形貌をもって祈る者の賢・不賢を知ることあり。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(013)下山御消息 | 建治3年(’77)6月 | 56歳 | 下山光基 |