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し給いて、人をば天台宗へとりこし、宗をば失うべしといえども、後に事の由を知らしめんがために、我が大乗の弟子を遣わしてたすけおき給う。しかるに、今の学者等はこの由を知らずして、六宗は本より破れずしてありとおもえり。はかなし、はかなし。
また一類の者等、天台の才学をもって見れば我が律宗は幼弱なる故に、漸々に梵網経へうつりぬ。結句は、法華経の大戒を我が小律に盗み入れて、還って円頓の行者を破戒・無戒と咲えば、国主は当時の形貌の貴げなる気色にたぼらかされ給いて、天台宗の寺に寄せたる田畠等を奪い取って彼らにあたえ、万民はまた一向大乗の寺の帰依を抛って彼の寺にうつる。手ずから火をつけざれども日本一国の大乗の寺を焼き失い、抜目鳥にあらざれども一切衆生の眼を抜きぬ。仏の記し給う「阿羅漢に似たる闡提」とは、これなり。
涅槃経に云わく「我涅槃して後、無量百歳、四道の聖人ことごとくまた涅槃せん。正法滅して後、像法の中において、当に比丘有るべし。律を持つに似像せて少しく経を読誦し、飲食を貪嗜してその身を長養す乃至袈裟を服るといえども、なお猟師の細めに視て徐かに行くがごとく、猫の鼠を伺うがごとし。外には賢善を現じ、内には貪嫉を懐く。啞法を受けたる婆羅門等のごとし。実には沙門にあらずして沙門の像を現じ、邪見熾盛にして正法を誹謗せん」等云々。この経文に世尊未来を記し置き給う。
そもそも、釈尊は、我らがためには賢父たる上、明師なり、聖主なり。一身に三徳を備え給える仏の、仏眼をもって未来悪世を鑑み給いて記し置き給う記文に云わく「我涅槃して後、無量百歳」云々。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(013)下山御消息 | 建治3年(’77)6月 | 56歳 | 下山光基 |