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火を出だす』と」等云々。また六の巻に云わく「仏、迦葉に告げたまわく『我般涅槃して乃至後、この魔波旬漸く当に我が正法を沮壊すべし乃至化して阿羅漢の身および仏の色身と作り、魔王この有漏の形をもって無漏の身と作し、我が正法を壊らん』と」等云々。
弘法大師は法華経を華厳経・大日経に対して「戯論」等云々。しかも仏身を現ず。これ涅槃経には「魔、有漏の形をもって仏となって、我が正法をやぶらん」と記し給う。涅槃経の「正法」は法華経なり。故に、経の次下の文に云わく「久しくすでに成仏す」。また云わく「法華の中のごとし」等云々。釈迦・多宝・十方の諸仏は、一切経に対して「法華経は真実、大日経等の一切経は不真実」等云々。弘法大師は仏身を現じて、華厳経・大日経に対して「法華経は戯論」等云々。仏説まことならば、弘法は天魔にあらずや。
また三鈷のこと、殊に不審なり。漢土の人の日本に来ってほりいだすとも信じがたし。已前に人をやつかわしてうずみけん。いおうや、弘法は日本の人。かかる誑乱その数多し。
これらをもって仏意に叶う人の証拠とはしりがたし。
されば、この真言・禅宗・念仏等ようやくこうなり来るほどに、人王第八十二代尊成・隠岐法皇、権大夫殿を失わんと年ごろはげませ給いけるゆえに、国主なれば、なにとなくとも師子王の兎を伏するがごとく、鷹の雉を取るようにこそあるべかりし上、叡山・東寺・園城・奈良七大寺・天照太神・正八幡・山王・賀茂・春日等に数年が間、あるいは調伏、あるいは神に申させ給いしに、二日三日だにもささえかねて、佐渡国・阿波国・隠岐国等にながし失せて、終にかくれさせ給いぬ。調伏の上首・
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(010)報恩抄 | 建治2年(’76)7月21日 | 55歳 | 浄顕房・義浄房 |