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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

て追わせ給いしかども、とこうのべて留まりしなり。結句は姫宮の御死去ありしに、いのりをなすべしとて、身の代に殿上の二りの女子七歳になりしを薪につみこめて焼き殺せしことこそ、無慙にはおぼゆれ。しかれども、姫宮もいきかえり給わず。
 不空三蔵は金剛智と月支より御ともせり。これらのことを不審とやおもいけん、畏と智と入滅の後、月氏に還って竜智に値い奉り、真言を習いなおし天台宗に帰伏してありしが、心ばかりは帰れども、身はかえることなし。雨の御いのりうけたまわりたりしが、三日と申すに雨下る。天子悦ばせ給いて、我と御布施ひかせ給う。須臾ありしかば、大風落ち下って内裏をも吹きやぶり、雲客月卿の宿所、一所もあるべしともみえざりしかば、天子大いに驚いて宣旨なりて「風をとどめよ」。しばらくありてはまた吹き、また吹きせしほどに、数日が間やむことなし。結句は使いをつけて追ってこそ風もやみてありしか。
 この三人の悪風は、漢土・日本の一切の真言師の大風なり。さにてあるやらん、去ぬる文永十一年四月十二日の大風は、阿弥陀堂の加賀法印、東寺第一の智者の雨のいのりに吹きたりし逆風なり。善無畏・金剛智・不空の悪法をすこしもたがえず伝えたりけるか。心にくし、心にくし。
 弘法大師は、去ぬる天長元年の二月大旱魃のありしに、先には守敏祈雨して七日が内に雨を下らす。ただ京中にふりて田舎にそそがず。次に弘法承け取って一七日に雨気なし。二七日に雲なし。三七日と申せしに、天子より和気真綱を使者として御幣を神泉苑にまいらせたりしかば、雨下ること三日、これをば弘法大師ならびに弟子等この雨をうばいとり、我が雨として今に四百余年、弘法の雨という。