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をかんどよりなげたり」といい、あるいは「日輪、夜中に出でたり」といい、あるいは「現身に大日如来となり給う」といい、あるいは「伝教大師に十八道をおしえまいらせたり」といいて、師の徳をあげて智慧にかえ、我が師の邪義を扶けて王臣を誑惑するなり。
また高野山に本寺・伝法院といいし二つの寺あり。本寺は弘法のたてたる大塔、大日如来なり。伝法院と申すは正覚房が立てたる金剛界の大日なり。この本末の二寺、昼夜に合戦あり。例せば叡山・園城のごとし。
誑惑のつもりて日本に二つの禍いの出現せるか。糞を集めて栴檀となせども、焼く時はただ糞のかなり。大妄語を集めて仏とごうすれども、ただ無間大城なり。尼犍が塔は数年が間利生広大なりしかども、馬鳴菩薩の礼をうけてたちまちにくずれぬ。鬼弁婆羅門がとばりは多年人をたぼらかせしかども、阿湿縛窶沙菩薩にせめられてやぶれぬ。拘留外道は石となって八百年、陳那菩薩にせめられて水となりぬ。道士は漢土をたぼらかすこと数百年、摩騰・竺蘭にせめられて仙経もやけぬ。趙高が国をとりし、王莽が位をうばいしがごとく、法華経の位をとって大日経の所領とせり。法王すでに国に失せぬ。人王あに安穏ならんや。
日本国は慈覚・智証・弘法の流れなり。一人として謗法ならざる人はなし。ただし、事の心を案ずるに、大荘厳仏の末、一切明王仏の末法のごとし。威音王仏の末法には、改悔ありしすら、なお千劫阿鼻地獄に堕つ。いかにいおうや、日本国の真言師・禅宗・念仏者等は一分の廻心なし。「かくのごとく展転して、無数劫に至らん」、疑いなきものか。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(010)報恩抄 | 建治2年(’76)7月21日 | 55歳 | 浄顕房・義浄房 |