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例せば、法師と尼と、黒と青とはまがいぬべければ、眼くらき人はあやまつぞかし。僧と男と、白と赤とは目くらき人も迷わず。いおうや眼あきらかなる者をや。慈覚・智証の義は、法師と尼と、黒と青とがごとくなるゆえに、智人も迷い愚人もあやまり候いて、この四百余年が間は、叡山・園城・東寺・奈良、五畿七道、日本一州、皆謗法の者となりぬ。
そもそも法華経の第五に「文殊師利よ。この法華経は、諸仏如来の秘密の蔵にして、諸経の中において最もその上に在り」云々。この経文のごとくならば、法華経は大日経等の一切経の頂上に住し給う正法なり。さるにては、善無畏・金剛智・不空・弘法・慈覚・智証等は、この経文をばいかんが会通せさせ給うべき。法華経の第七に云わく「能くこの経典を受持することあらん者もまたかくのごとく、一切衆生の中において、またこれ第一なり」等云々。この経文のごとくならば、法華経の行者は、川流江河の中の大海、衆山の中の須弥山、衆星の中の月天、衆明の中の大日天、転輪王・帝釈・諸王の中の大梵王なり。
伝教大師の秀句と申す書に云わく「この経もまたかくのごとく乃至諸の経法の中に、最もこれ第一なり。能くこの経典を受持することあらん者もまたかくのごとく、一切衆生の中において、またこれ第一なり〈已上、経文なり〉」と引き入れさせ給いて、次下に云わく「天台、法華玄に云わく等云々〈已上、玄の文〉」とかかせ給いて、上の心を釈して云わく「当に知るべし、他宗の依るところの経はいまだ最もこれ第一ならず。その能く経を持つ者もまたいまだ第一ならず。天台法華宗の持つところの法華経は最もこれ第一なるが故に、能く法華を持つ者もまた衆生の中に第一なり。すでに仏説に拠る。あに
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(010)報恩抄 | 建治2年(’76)7月21日 | 55歳 | 浄顕房・義浄房 |