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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

りとも、智証、義真和尚に口決せりというとも、伝教・義真の正文に相違せば、あに不審を加えざらん。
 伝教大師の依憑集と申す文は、大師第一の秘書なり。彼の書の序に云わく「新来の真言家は則ち筆授の相承を泯ぼし、旧到の華厳家は則ち影響の軌範を隠す。沈空の三論宗は弾訶の屈恥を忘れて称心の酔を覆い、著有の法相は撲陽の帰依を非して青竜の判経を撥う」等。乃至「謹んで依憑集一巻を著して同我の後哲に贈る。その時、興ること日本の第五十二葉、弘仁の七丙申歳なり」云々。次下の正宗に云わく「天竺の名僧、大唐天台の教迹最も邪正を簡ぶに堪えたりと聞いて、渇仰して訪問す」云々。次下に云わく「あに中国に法を失ってこれを四維に求むるにあらずや。しかるに、この方に識ることある者少なし。魯人のごとし」等云々。この書は法相・三論・華厳・真言の四宗をせめて候文なり。天台・真言の二宗、同一味ならば、いかでかせめ候べき。しかも不空三蔵等をば「魯人のごとし」なんどかかれて候。善無畏・金剛智・不空の真言宗いみじくば、いかでか魯人と悪口あるべき。また天竺の真言が、天台宗に同じきも、また勝れたるならば、天竺の名僧いかでか不空にあつらえ、中国に正法なしとはいうべき。
 それはいかにもあれ、慈覚・智証の二人は、言は伝教大師の御弟子とはなのらせ給えども、心は御弟子にあらず。その故は、この書に云わく「謹んで依憑集一巻を著して同我の後哲に贈る」等云々。「同我」の二字は、真言宗は天台宗に劣るとならいてこそ、同我にてはあるべけれ。我と申し下さるる宣旨に云わく「専ら先師の義に違いて偏執の心を成す」等云々。また云わく「およそ、その師資の