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台宗に落ちたる宗なり。いおうや、不空三蔵は、善無畏・金剛智入滅の後、月氏に入ってありしに、竜智菩薩に値い奉りし時、「月氏には仏意をあきらめたる論釈なし。漢土に天台という人の釈こそ邪正をえらび偏円をあきらめたる文にては候なれ。あなかしこ、あなかしこ。月氏へ渡し給え」とねんごろにあつらえしことを、不空の弟子・含光といいし者が妙楽大師にかたれるを記の十の末に引き載せられて候を、この依憑集に取り載せて候。法華経に大日経は劣るとしろしめすこと、伝教大師の御心顕然なり。
されば、釈迦如来・天台大師・妙楽大師・伝教大師の御心は、一同に大日経等の一切経の中には法華経はすぐれたりということは分明なり。また真言宗の元祖という竜樹菩薩の御心もかくのごとし。大智度論を能く能く尋ぬるならば、このこと分明なるべきを、不空があやまれる菩提心論に皆人ばかされて、このことに迷惑せるか。
また石淵の勤操僧正の御弟子に空海という人あり。後には弘法大師とごうす。去ぬる延暦二十三年五月十二日に御入唐。漢土にわたりては金剛智・善無畏の両三蔵の第三の御弟子・恵果和尚といいし人に両界を伝受。大同二年十月二十二日に御帰朝。平城天皇の御宇なり。桓武天皇は御ほうぎょ。平城天皇に見参し御用いありて御帰依他にことなりしかども、平城ほどもなく嵯峨に世をとられさせ給いしかば、弘法ひき入れてありしほどに、伝教大師は嵯峨天皇の弘仁十三年六月四日御入滅。同じき弘仁十四年より弘法大師、王の御師となり、真言宗を立てて東寺を給わり、真言和尚とごうし、これより八宗始まる。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(010)報恩抄 | 建治2年(’76)7月21日 | 55歳 | 浄顕房・義浄房 |