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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

て、さらに所作無きがごとし』等云々。経文明らかに諸経をば春夏と説かせ給い、涅槃経と法華経とをば菓実の位とは説かれて候えども、法華経をば秋収冬蔵の大菓実の位、涅槃経をば秋の末・冬の始めの捃拾の位と定め給いぬ。この経文、正しく法華経には我が身劣ると承伏し給いぬ。法華経の文には『已に説き、今説き、当に説くべし』と申して、この法華経は前と並びとの経々に勝れたるのみならず、後に説かん経々にも勝るべしと仏定め給う。すでに教主釈尊かく定め給いぬれば疑うべきにあらねども、我が滅後はいかんがと疑いおぼして東方宝浄世界の多宝仏を証人に立て給いしかば、多宝仏大地よりおどり出でて『妙法華経は、皆これ真実なり』と証し、十方分身の諸仏重ねてあつまらせ給い、広長舌を大梵天に付け、また教主釈尊も付け給う。しかして後、多宝仏は宝浄世界へかえり、十方の諸仏各々本土にかえらせ給いて後、多宝・分身の仏もおわせざらんに、教主釈尊涅槃経をといて『法華経に勝る』と仰せあらば、御弟子等は信ぜさせ給うべしや」とせめしかば、日月の大光明の修羅の眼を照らすがごとく、漢王の剣の諸侯の頸にかかりしがごとく、両眼をとじ、一頭を低れたり。天台大師の御気色は、師子王の狐兎の前に吼えたるがごとし。鷹・鷲の鳩・雉をせめたるににたり。
 かくのごとくありしかば、さては法華経は華厳経・涅槃経にもすぐれてありけりと震旦一国に流布するのみならず、かえりて五天竺までも聞こえ、「月氏の大小の諸論も智者大師の御義には勝れず。教主釈尊両度出現しましますか。仏教二度あらわれぬ」とほめられ給いしなり。
 その後、天台大師も御入滅なりぬ。陳・隋の世も代わって唐の世となりぬ。章安大師も御入滅なりぬ。天台の仏法ようやく習い失せしほどに、唐の太宗の御宇に玄奘三蔵といいし人、貞観三年に始め