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ちぬ」とののしらせ給う。その時、南北の諸師、はちのごとく蜂起し、からすのごとく烏合せり。
智顗法師をば、頭をわるべきか国をおうべきかなんど申せしほどに、陳主これをきこしめして、南北の数人に召し合わせて、我と列座してきかせ給いき。法雲法師が弟子等、慧栄・法歳・慧曠・慧暅なんど申せし僧正・僧都已上の人々百余人なり。各々悪口を先とし、眉をあげ眼をいからかし、手をあげ拍子をたたく。しかれども、智顗法師は末座に坐して、色を変ぜず言を誤らず、威儀しずかにして、諸僧の言を一々に牒をとり、言ごとにせめかえす。おしかえして難じて云わく「そもそも法雲法師の御義に『第一華厳、第二涅槃、第三法華』と立てさせ給いける証文はいずれの経ぞ。慥かに明らかなる証文を出ださせ給え」とせめしかば、各々頭をうつぶせ、色を失って一言の返事なし。
重ねてせめて云わく「無量義経に正しく『次に方等十二部経・摩訶般若・華厳海空を説いて』等云々。仏、我と華厳経の名をよびあげて、無量義経に対して『いまだ真実を顕さず』と打ち消し給う。法華経に劣って候無量義経に、華厳経はせめられて候。いかに心えさせ給いて華厳経をば一代第一とは候いけるぞ。各々御師の御かとうどせんとおぼさば、この経文をやぶりて、これに勝れたる経文を取り出だして、御師の御義を助け給え」とせめたり。
また、「涅槃経を法華経に勝ると候いけるは、いかなる経文ぞ。涅槃経の第十四には華厳・阿含・方等・般若をあげて、涅槃経に対して勝劣は説かれて候えども、まったく法華経と涅槃経との勝劣はみえず。次上の第九の巻に法華経と涅槃経との勝劣分明なり。いわゆる、経文に云わく『この経、世に出ずるは乃至法華の中の八千の声聞の記別を受くることを得て大菓実を成ずるがごとし。秋収冬蔵し
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(010)報恩抄 | 建治2年(’76)7月21日 | 55歳 | 浄顕房・義浄房 |