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法華経の疏四巻あり。この疏に云わく「この経いまだ碩然ならず」。また云わく「異の方便」等云々。正しく、法華経はいまだ仏理をきわめざる経と書かれて候。この人の御義、仏意に相叶い給いければこそ、天より花も下り雨もふり候いけらめ。かかるいみじきことにて候いしかば、漢土の人、さては法華経は華厳経・涅槃経には劣るにてこそあるなれと思いし上、新羅・百済・高麗・日本までこの疏ひろまりて、大体一同の義にて候いしに、法雲法師御死去ありていくばくならざるに、梁の末、陳の始めに智顗法師と申す小僧出来せり。
南岳大師と申せし人の御弟子なりしかども、師の義も不審にありけるかのゆえに、一切経蔵に入って度々御らんありしに、華厳経・涅槃経・法華経の三経に詮じいだし、この三経の中に殊に華厳経を講じ給いき。別して礼文を造って日々に功をなし給いしかば、世間の人おもわく、この人も華厳経を第一とおぼすかと見えしほどに、法雲法師が一切経の中に「華厳第一、涅槃第二、法華第三」と立てたるがあまりに不審なりける故に、ことに華厳経を御らんありけるなり。
かくて、一切経の中に「法華第一、涅槃第二、華厳第三」と見定めさせ給いてなげき給うようは、「如来の聖教は漢土にわたれども、人を利益することなし。かえりて一切衆生を悪道に導くこと、人師の誤りによれり。例せば、国の長とある人、東を西といい、天を地といいいだしぬれば、万民はかくのごとくに心うべし。後にいやしき者出来して、『汝等が西は東、汝等が天は地なり』といわば、もちうることなき上、我が長の心に叶わんがために、今の人をのりうちなんどすべし。いかんがせん」とはおぼせしかども、さてもだすべきにあらねば、「光宅寺の法雲法師は謗法によって地獄に堕
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(010)報恩抄 | 建治2年(’76)7月21日 | 55歳 | 浄顕房・義浄房 |