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日蓮が愚案はれがたし。世間をみるに、各々我も我もといえども、国主はただ一人なり。二人となれば国土おだやかならず。家に二りの主あれば、その家必ずやぶる。一切経もまた、かくのごとくやあるらん。いずれの経にてもおわせ、一経こそ一切経の大王にてはおわすらめ。しかるに、十宗・七宗まで各々諍論して随わず。国に七人・十人の大王ありては万民おだやかならじ。いかんがせんと疑うところに、一つの願を立つ。我、八宗・十宗に随わじ。天台大師の専ら経文を師として一代の勝劣をかんがえしがごとく一切経を開きみるに、涅槃経と申す経に云わく「法に依って人に依らざれ」等云々。「法に依って」と申すは一切経、「人に依らざれ」と申すは、仏を除き奉って外の普賢菩薩・文殊師利菩薩乃至上にあぐるところの諸の人師なり。この経にまた云わく「了義経に依って不了義経に依らざれ」等云々。この経に指すところ、「了義経」と申すは法華経、「不了義経」と申すは華厳経・大日経・涅槃経等の已今当の一切経なり。されば、仏の遺言を信ずるならば、専ら法華経を明鏡として一切経の心をばしるべきか。
したがって、法華経の文を開き奉れば、「この法華経は、諸経の中において最もその上に在り」等云々。この経文のごとくば、須弥山の頂に帝釈の居るがごとく、輪王の頂に如意宝珠のあるがごとく、衆木の頂に月のやどるがごとく、諸仏の頂上に肉髻の住せるがごとく、この法華経は華厳経・大日経・涅槃経等の一切経の頂上の如意宝珠なり。されば、専ら論師・人師をすてて経文に依るならば、大日経・華厳経等に法華経の勝れ給えることは、日輪の青天に出現せる時、眼あきらかなる者の天地を見るがごとく、高下宛然なり。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(010)報恩抄 | 建治2年(’76)7月21日 | 55歳 | 浄顕房・義浄房 |