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りと。ある人師云わく、小乗の釈尊と。あるいは華厳経の釈尊と。あるいは法華経迹門の釈尊と。これらの諸師ならびに檀那等、釈尊を忘れて諸仏を取ることは、例せば、阿闍世太子の頻婆沙羅王を殺し釈尊に背いて提婆達多に付きしがごときなり。二月十五日は釈尊御入滅の日、乃至十二月の十五日も三界の慈父の御遠忌なり。善導・法然・永観等の提婆達多に誑かされて、阿弥陀仏の日と定め了わんぬ。四月八日は世尊御誕生の日なり。薬師仏に取り了わんぬ。我が慈父の忌日を他仏に替うるは孝養の者なるか、いかん。寿量品に云わく「我もまたこれ世の父」「狂子を治せんがための故に」等云々。天台大師云わく「本この仏に従って初めて道心を発し、またこの仏に従って不退地に住す乃至なお百川の応須に海に潮ぐべきがごとく、縁に牽かれて応生すること、またかくのごとし」等云々。
問うて曰わく、法華経は誰人のためにこれを説くや。
答えて曰わく、方便品より人記品に至るまでの八品に二意有り。上より下に向かって次第にこれを読まば、第一は菩薩、第二は二乗、第三は凡夫なり。安楽行より勧持・提婆・宝塔・法師と逆次にこれを読まば、滅後の衆生をもって本となす。在世の衆生は傍なり。滅後をもってこれを論ぜば、正法一千年・像法一千年は傍なり。末法をもって正となす。末法の中には、日蓮をもって正となすなり。
問うて曰わく、その証拠いかん。
答えて曰わく、「いわんや滅度して後をや」の文これなり。
疑って云わく、日蓮を正となす正文いかん。
答えて云わく、「諸の無智の人の、悪口・罵詈等し、および刀杖を加うる者有らん」等云々。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(008)法華取要抄 | 文永11年(’74)5月24日 | 53歳 | 富木常忍 |