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寿量品に云わく「あるいは本心を失えるもの、あるいは失わざる者あり乃至心を失わざる者は、この良薬の色・香ともに好きを見て、即便ちこれを服するに、病はことごとく除こり癒えぬ」等云々。久遠下種・大通結縁、乃至前四味・迹門等の一切の菩薩・二乗・人天等の本門において得道するものこれなり。経に云わく「余の心を失える者は、その父の来れるを見て、また歓喜し問訊して、病を治せんことを求索むといえども、しかもその薬を与うれども、あえて服せず。所以はいかん。毒気は深く入って、本心を失えるが故に、この好き色・香ある薬において、しかも美からずと謂えばなり乃至『我は今当に方便を設けて、この薬を服せしむべし』乃至『この好き良薬を、今留めてここに在く。汝は取って服すべし。差えじと憂うることなかれ』。この教えを作し已わって、また他国に至り、使いを遣わして還って告ぐ」等云々。分別功徳品に云わく「悪世末法の時」等云々。
問うて曰わく、この経文の「使いを遣わして還って告ぐ」はいかん。
答えて曰わく、四依なり。四依に四類有り。小乗の四依は、多分は正法の前の五百年に出現す。大乗の四依は、多分は正法の後の五百年に出現す。三に迹門の四依は、多分は像法一千年、少分は末法の初めなり。四に本門の四依の地涌千界は、末法の始めに必ず出現すべし。今の「使いを遣わして還って告ぐ」は地涌なり。「この好き良薬」とは寿量品の肝要たる名・体・宗・用・教の南無妙法蓮華経これなり。この良薬をば仏なお迹化に授与したまわず。いかにいわんや他方をや。
神力品に云わく「その時、千世界微塵等の菩薩摩訶薩の地より涌出せる者は、皆仏前において、一心に合掌して、尊顔を瞻仰して、仏に白して言さく『世尊よ。我らは仏滅して後、世尊の分身の在す
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(006)如来滅後五五百歳始観心本尊抄(観心本尊抄) | 文永10年(’73)4月25日 | 52歳 |