139ページ
もって正が中の正となす。
問うて曰わく、その証いかん。
答えて曰わく、法師品に云わく「しかもこの経は、如来の現に在すすらなお怨嫉多し。いわんや滅度して後をや」。宝塔品に云わく「法をして久しく住せしむ乃至来れるところの化仏は当にこの意を知るべし」等。勧持・安楽等これを見るべし。迹門かくのごとし。
本門をもってこれを論ずれば、一向に末法の初めをもって正機となす。いわゆる、一往これを見る時は、久種をもって下種となし、大通・前四味・迹門を熟となして、本門に至って等・妙に登らしむ。再往これを見れば、迹門には似ず、本門は序・正・流通ともに末法の始めをもって詮となす。
在世の本門と末法の初めは一同に純円なり。ただし、彼は脱、これは種なり。彼は一品二半、これはただ題目の五字なり。
問うて曰わく、その証文いかん。
答えて云わく、涌出品に云わく「その時、他方の国土の諸の来れる菩薩摩訶薩の八恒河沙の数に過ぎたるは、大衆の中において起立し、合掌し礼を作して、仏に白して言さく『世尊よ。もし我らに仏滅して後において、娑婆世界に在って、勤加精進して、この経典を護持・読誦・書写・供養せんことを聴したまわば、当にこの土において広くこれを説きたてまつるべし』。その時、仏は諸の菩薩摩訶薩衆に告げたまわく『止みね。善男子よ。汝等がこの経を護持せんことを須いじ』と」等云々。
法師より已下の五品の経文、前後水火なり。宝塔品の末に云わく「大音声をもって、あまねく四衆に
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
---|---|---|---|
(006)如来滅後五五百歳始観心本尊抄(観心本尊抄) | 文永10年(’73)4月25日 | 52歳 |