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の寺塔を建立すれども、本門寿量品の本尊ならびに四大菩薩をば三国の王臣ともにいまだ崇重せざるの由、これを申す。このことほぼこれを聞くといえども、前代未聞の故に耳目を驚動し心意を迷惑す。請う、重ねてこれを説け。委細にこれを聞かん。
答えて曰わく、法華経一部八巻二十八品、進んでは前四味、退いては涅槃経等の一代の諸経、総じてこれを括るにただ一経なり。始め寂滅道場より終わり般若経に至るまでは序分なり。無量義経・法華経・普賢経の十巻は正宗なり。涅槃経等は流通分なり。
正宗十巻の中において、また序・正・流通有り。無量義経ならびに序品は序分なり。方便品より分別功徳品の十九行の偈に至るまでの十五品半は正宗分なり。分別功徳品の現在の四信より普賢経に至るまでの十一品半と一巻は流通分なり。
また法華経等の十巻においても二経有り。各、序・正・流通を具するなり。無量義経と序品は序分なり。方便品より人記品に至るまでの八品は正宗分なり。法師品より安楽行品に至るまでの五品は流通分なり。その教主を論ずれば、始成正覚の仏にして、本無今有の百界千如を説く。已今当に超過せる随自意、難信難解の正法なり。過去の結縁を尋ぬれば、大通十六の時、仏果の下種を下し、進んでは華厳経等の前四味をもって助縁となして、大通の種子を覚知せしむ。これは仏の本意にあらず。ただ毒発等の一分なり。二乗・凡夫等は、前四味を縁となし漸々に法華に来至して種子を顕し、開顕を遂ぐる機これなり。また、在世において始めて八品を聞く人天等、あるいは一句一偈等を聞いて下種となし、あるいは熟し、あるいは脱し、あるいは普賢・涅槃等に至り、あるいは正像末等に小・権
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(006)如来滅後五五百歳始観心本尊抄(観心本尊抄) | 文永10年(’73)4月25日 | 52歳 |