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法蓮華経の五字に具足す、我らこの五字を受持すれば、自然に彼の因果の功徳を譲り与えたもう。
四大声聞の領解に云わく「無上の宝珠は、求めざるに自ずから得たり」云々。我らが己心の声聞界なり。「我がごとく等しくして異なることなからしめん。我が昔の願いしところのごときは、今、すでに満足しぬ。一切衆生を化して、皆仏道に入らしむ」。妙覚の釈尊は我らが血肉なり。因果の功徳は骨髄にあらずや。
宝塔品に云わく「それ能くこの経法を護ることあらば、則ちこれ我および多宝を供養す乃至また諸の来りたまえる化仏の諸の世界を荘厳し光飾したもう者を供養す」等云々。釈迦・多宝・十方の諸仏は我が仏界なり。その跡を紹継して、その功徳を受得す。「須臾もこれを聞かば、即ち阿耨多羅三藐三菩提を究竟することを得」とは、これなり。
寿量品に云わく「しかるに、我は実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由他劫なり」等云々。我らが己心の釈尊は、五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏なり。経に云わく「我は本菩薩の道を行じて、成ぜしところの寿命は、今なおいまだ尽きず、また上の数に倍せり」等云々。我らが己心の菩薩等なり。地涌千界の菩薩は己心の釈尊の眷属なり。例せば、太公・周公旦等は周武の臣下、成王幼稚の眷属、武内大臣は神功皇后の棟梁、仁徳王子の臣下なるがごとし。上行・無辺行・浄行・安立行等は我らが己心の菩薩なり。
妙楽大師云わく「当に知るべし、身土は一念の三千なり。故に、成道の時、この本理に称って、一身一念法界に遍し」等云々。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(006)如来滅後五五百歳始観心本尊抄(観心本尊抄) | 文永10年(’73)4月25日 | 52歳 |