126ページ
具の十界なり。経に云わく「竜女乃至等正覚を成ず」等云々。これ畜生界所具の十界なり。経に云わく「婆稚阿修羅王乃至一偈一句を聞いて、阿耨多羅三藐三菩提を得べし」等云々。修羅界所具の十界なり。経に云わく「もし人、仏のための故に乃至皆すでに仏道を成じたり」等云々。これ人界所具の十界なり。経に云わく「大梵天王乃至我らもまたかくのごとく、必ず当に作仏することを得べし」等云々。これ天界所具の十界なり。経に云わく「舎利弗乃至華光如来」等云々。これ声聞界所具の十界なり。経に云わく「その縁覚を求むる者、比丘比丘尼乃至合掌し敬心をもって、具足の道を聞きたてまつらんと欲す」等云々。これ即ち縁覚界所具の十界なり。経に云わく「地涌千界乃至真浄の大法」等云々。これ即ち菩薩所具の十界なり。経に云わく「あるいは己身を説き、あるいは他身を説く」等云々。即ち仏界所具の十界なり。
問うて曰わく、自他面の六根は共にこれを見る。彼此の十界においてはいまだこれを見ず。いかんがこれを信ぜん。
答えて曰わく、法華経法師品に云わく「難信難解」。宝塔品に云わく「六難九易」等云々。天台大師云わく「二門ことごとく昔と反すれば、難信難解なり」。章安大師云わく「仏これをもって大事となす。何ぞ解し易きことを得べけんや」等云々。伝教大師云わく「この法華経は最もこれ難信難解なり。随自意の故に」等云々。
夫れ、在世の正機は過去の宿習厚きの上、教主釈尊・多宝仏・十方分身の諸仏、地涌千界、文殊・弥勒等、これを扶けて諫暁せしむるに、なお信ぜざる者これ有り。五千席を去り、人天移さる。いわ
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
---|---|---|---|
(006)如来滅後五五百歳始観心本尊抄(観心本尊抄) | 文永10年(’73)4月25日 | 52歳 |