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られ給い、八幡大菩薩は宝殿をすてて主上の頂を栖とし給うと申す。仏の加護と申し、神の守護と申し、いかなれば彼の安徳と隠岐と阿波・佐渡等の王は相伝の所従等にせめられて、あるいは殺され、あるいは島に放たれ、あるいは鬼となり、あるいは大地獄には堕ち給いしぞ。
日本国の叡山・七寺・東寺・園城等の十七万一千三十七所の山々・寺々にいささかの御仏事を行うには、皆、天長地久・玉体安穏とこそいのり給い候え。その上、八幡大菩薩は殊に天皇守護の大願あり。人王第四十八代に高野天皇の玉体に入り給いて云わく「我が国家、開闢してより以来、臣をもって君となすこといまだ有らざることなり。天の日嗣必ず皇緒を立つ」等云々。また太神、行教に付して云わく「我に百王守護の誓い有り」等云々。
されば、神武天皇より已来百王にいたるまでは、いかなること有りとも玉体はつつがあるべからず。王位を傾くる者も有るべからず。「一生補処の菩薩は中夭なし」「聖人は横死せず」と申す。いかにとして、彼々の四王は王位をおいおとされ、国をうばわるるのみならず、命を海にすて、身を島々に入れ給いけるやらん。天照太神は玉体に入りかわり給わざりけるか。八幡大菩薩の百王の誓いは、いかにとなりぬるぞ。
その上、安徳天皇の御宇には、明雲座主御師となり、太政入道ならびに一門、怠状を捧げて云わく「彼の興福寺をもって藤氏の氏寺となし、春日の社をもって藤氏の氏神となすがごとく、延暦寺をもって平氏の氏寺と号し、日吉の社をもって平氏の氏神と号す」云々。叡山には、明雲座主を始めとして三千人の大衆、五壇の大法を行い、大臣以下は家々に尊勝陀羅尼・不動明王を供養し、諸寺諸山に
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(047)神国王御書 | 建治元年(’75)* |