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きて大王のごとくし、胎蔵の大日経、金剛頂経をば左右の臣下のごとくせし、これなり。日本の弘法も、教相の時は華厳宗に心をよせて法華経をば第八におきしかども、事相の時には実慧・真雅・円澄・光定等の人々に伝え給いし時、両界の中央に上のごとくおかれたり。
例せば、三論の嘉祥は、法華玄十巻に法華経を第四時、会二破二と定むれども、天台に帰伏して七年つかえ、講を廃し衆を散じて身を肉橋となせり。法相の慈恩は法苑林七巻十二巻に「一乗は方便なり、三乗は真実なり」等の妄言多し。しかれども、玄賛の第四には「故に、また両つながら存す」等と我が宗を不定になせり。言は両方なれども、心は天台に帰伏せり。華厳の澄観は、華厳の疏を造って華厳・法華相対して、法華を方便とかけるに似たれども、「彼の宗にはこれをもって実となす。この宗の立義、理として通ぜざることなし」等とかけるは、悔い還すにあらずや。弘法もまたかくのごとし。亀鏡なければ我が面をみず、敵なければ我が非をしらず。真言等の諸宗の学者等、我が非をしらざりしほどに、伝教大師にあいたてまつって自宗の失をしるなるべし。
されば、諸経の諸の仏菩薩・人天等は、彼々の経々にして仏にならせ給うようなれども、実には法華経にして正覚なり給えり。釈迦・諸仏の衆生無辺の総願は、皆この経において満足す。「今、すでに満足しぬ」の文これなり。
予、事の由をおし計るに、華厳・観経・大日経等をよみ修行する人をば、その経々の仏・菩薩・天等守護し給うらん。疑いあるべからず。ただし、大日経・観経等をよむ行者等、法華経の行者に敵対をなさば、彼の行者をすてて法華経の行者を守護すべし。例せば、孝子、慈父の王敵となれば、父をす
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(005)開目抄 | 文永9年(’72)2月 | 51歳 | 門下一同 |