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華厳経の蓮華蔵世界は、十方・此土の報仏、各々に国々にして、彼の界の仏この土に来って分身となのらず、この界の仏彼の界へゆかず、ただ法慧等の大菩薩のみ互いに来会せり。大日経・金剛頂経等の八葉九尊・三十七尊等、大日如来の化身とはみゆれども、その化身、三身円満の古仏にあらず。大品経の千仏、阿弥陀経の六方の諸仏、いまだ来集の仏にあらず。大集経の来集の仏また分身ならず。金光明経の四方の四仏は化身なり。総じて一切経の中に各修各行の三身円満の諸仏を集めて我が分身とはとかれず。
これ寿量品の遠序なり。始成四十余年の釈尊、一劫・十劫等已前の諸仏を集めて分身ととかる。さすが平等意趣にもにず、おびただしくおどろかし。また始成の仏ならば所化十方に充満すべからざれば、分身の徳は備わりたりとも示現してえきなし。天台云わく「分身既に多ければ、当に知るべし、成仏の久しきことを」等云々。大会のおどろきし意をかかれたり。
その上に、地涌千界の大菩薩、大地より出来せり。釈尊に第一の御弟子とおぼしき普賢・文殊等にもにるべくもなし。華厳・方等・般若・法華経の宝塔品に来集せる大菩薩、大日経等の金剛薩埵等の十六大菩薩なんども、この菩薩に対当すれば、獼猴の群がる中に帝釈の来り給うがごとし。山人に月卿等のまじわれるにことならず。補処の弥勒すら、なお迷惑せり。いかにいわんや、その已下をや。
この千世界の大菩薩の中に四人の大聖まします。いわゆる上行・無辺行・浄行・安立行なり。この四人は虚空・霊山の諸大菩薩等、眼もあわせ、心もおよばず。華厳経の四菩薩、大日経の四菩薩、金剛頂経の十六大菩薩等も、この菩薩に対すれば、翳眼のものの日輪を見るがごとく、海人が皇帝に向
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(005)開目抄 | 文永9年(’72)2月 | 51歳 | 門下一同 |