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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

心より造らざることなし』。『種々の五陰』とは、前の十法界の五陰のごときなり」。また云わく「また十種の五陰、一々に各十法を具す。謂わく、如是相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究竟等なり」文。また云わく「夫れ、一心に十法界を具す。一法界にまた十法界を具すれば、百法界なり。一界に三十種の世間を具すれば、百法界には即ち三千種の世間を具す。この三千、一念の心に在り」文。
 弘の五に云わく「故に、大師、覚意三昧・観心食法および誦経法・小止観等の諸の心観の文に、ただ自他等の観をもって三仮を推すのみ。ならびにいまだ一念に三千具足すと云わず。乃至、観心論の中にまたただ三十六の問いをもって四心を責むるのみにして、また一念三千に渉らず。ただ四念処の中に略して観心の十界を云うのみ。故に、止観の『正しく観法を明かす』に至って、ならびに三千をもって指南となす。乃ちこれ終窮究竟の極説なり。故に、序の中に『己心の中に行ずるところの法門を説く』と云えり。良に以有るなり。請う、尋ね読まん者、心に異縁無かれ」。
 止の五に云わく「この十重の観法は横竪に収束し、微妙・精巧なり。初めは則ち境の真偽を簡び、中は則ち正助相添い、後は則ち安忍・無著なり。意円かに法巧みに、該括・周備して、初心に規矩たり。行者を将送って彼の薩雲〈初住なり〉に到らしむ。闇証の禅師・誦文の法師の能く知るところにあらざるなり。けだし、如来積劫の懃求したまえるところ、道場の妙悟したまえるところ、身子の三請するところ、法譬の三たび説くところ、正しくここに在るに由るか」。
 弘の五に云わく「あまねく四教の一十六門乃至八教、一期の始終において、今皆開顕して、束ねて一乗に入れ、あまねく諸教を括って、つぶさに一実に入る。もし当分ならば、なお偏教の教主の知る