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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

 疑って云わく、善導和尚は三昧発得の人師、本地阿弥陀仏の化身、口より化仏を出だせり。法然上人は本地大勢至菩薩の化身、既に日本国に生まれては念仏を弘めて頭より光を現ぜり。いかでか、これらを僻人と申さんや。また善導和尚・法然上人は、汝が見る程の法華経ならびに一切経をば見給わざらんや。定めてその故これあらんか。
 答えて云わく、汝が難ずるところをば、世間の人々定めて道理と思わんか。これひとえに、法華経ならびに天台・妙楽等の実経・実義を述べ給える文義を捨て、善導・法然等の謗法の者にたぼらかされて年久しくなりぬるが故に、思わするところなり。
 まず通力ある者を信ぜば、外道・天魔を信ずべきか。ある外道は大海を吸い干し、ある外道は恒河を十二年まで耳に湛えたり。第六天の魔王は三十二相を具足して仏身を現ず。阿難尊者、なお魔と仏とを弁えず。善導・法然が通力いみじしというとも、天魔・外道には勝れず。その上、仏の最後の禁めに「通を本とすべからず」と見えたり。
 次に、善導・法然は一切経ならびに法華経をばおのれよりも見たりなんどの疑い、これまた謗法の人のためには、さもと思いぬべし。しかりといえども、如来の滅後には先の人は多分賢きに似て、後の人は大旨ははかなきに似たれども、また先の世の人の、世に賢き名を取ってはかなきもこれあり。
 外典にも三皇・五帝・老子・孔子の五経等を学びて賢き名を取れる人も、後の人にくつがえされたる例これ多きか。内典もまたかくのごとし。仏法、漢土に渡って五百年の間は、明匠国に充満せしかども、光宅の法雲、道場の慧観等には過ぎざりき。これらの人々は名を天下に流し、智水を国中にそ