72ページ
り。これ乃ち物類冥召して世間を誑惑す』等云々。論じて曰わく○昔は斉朝の光統を聞き、今は本朝の六統を見る。実なるかな、法華の『いかにいわんや』は」等云々。秀句に云わく「代を語れば則ち像の終わり末の初め、地を尋ぬれば唐の東・羯の西、人を原ぬれば則ち五濁の生・闘諍の時なり。経に云わく『なお怨嫉多し。いわんや滅度して後をや』。この言、良に以有るなり」等云々。
夫れ、小児に灸治を加うれば、必ず父母をあだむ。重病の者に良薬をあたうれば、定めて口に苦しとうれう。在世なおしかり、乃至像末辺土をや。山に山をかさね、波に波をたたみ、難に難を加え、非に非をますべし。
像法の中には天台一人、法華経・一切経をよめり。南北これをあだみしかども、陳・隋二代の聖主、眼前に是非を明らめしかば、敵ついに尽きぬ。像の末に伝教一人、法華経・一切経を仏説のごとく読み給えり。南都七大寺蜂起せしかども、桓武乃至嵯峨等の賢主、我と明らめ給いしかば、また事なし。今、末法の始め二百余年なり。「いわんや滅度して後をや」のしるしに、闘諍の序となるべきゆえに、非理を前として、濁世のしるしに、召し合わせられずして、流罪乃至寿にもおよばんとするなり。
されば、日蓮が法華経の智解は天台・伝教には千万が一分も及ぶことなけれども、難を忍び慈悲のすぐれたることはおそれをもいだきぬべし。定めて天の御計らいにもあずかるべしと存ずれども、一分のしるしもなし。いよいよ重科に沈む。還ってこのことを計りみれば、我が身の法華経の行者にあらざるか、また諸天善神等のこの国をすてて去り給えるか、かたがた疑わし。
しかるに、法華経の第五の巻の勧持品の二十行の偈は、日蓮だにもこの国に生まれずば、ほとうど
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
---|---|---|---|
(005)開目抄 | 文永9年(’72)2月 | 51歳 | 門下一同 |