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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

の外に別の法無し。心、仏および衆生、この三つは差別無し」已上。無量義経に云わく「相無く相ならざる一法より無量義を出生す」已上。「相無く相ならざる一法」とは、一切衆生の一念の心これなり。文句に釈して云わく「生滅無常の相無きが故に、『相無し』と云うなり。二乗の有余・無余の二つの涅槃の相を離るるが故に、『相ならず』と云うなり」云々。心の不思議をもって経論の詮要となすなり。
 この心を悟り知るを名づけて如来と云う。これを悟り知って後は、十界は我が身なり、我が心なり、我が形なり。本覚の如来は我が身心なるが故なり。これを知らざる時を名づけて無明となす。無明は「明らかなることなし」と読むなり。我が心の有り様を明らかに覚らざるなり。これを悟り知る時を名づけて法性と云う。故に、無明と法性とは一心の異名なり。名言は二つなりといえども、心はただ一つ心なり。これに由って、無明をば断ずべからざるなり。夢の心の無明なるを断ぜば、寤の心を失うべきが故なり。総じて円教の意は一毫の惑をも断ぜず。故に、「一切法は皆これ仏法なり」と云うなり。
 法華経に云わく「如是相〈一切衆生の相好、本覚の応身如来〉・如是性〈一切衆生の心性、本覚の報身如来〉・如是体〈一切衆生の身体、本覚の法身如来〉」。この三如是より後の七如是出生して、合して十如是と成るなり。この十如是は十法界なり。この十法界は一人の心より出でて、八万四千の法門と成るなり。一人を手本として一切衆生平等なること、かくのごとし。三世の諸仏の総勘文にして、御判たしかに印したる正本の文書なり。仏の御判とは実相の一印なり。印とは判の異名なり。余の一切の経には実相の印無