SOKAnetトップ

『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

神等の御足の下にふませまいらせていのりしかば、いかにもこらうべしともみえざりしに、いかにとして一年一月も延びずして、わずかに二日一日にはほろび給いけるやらん。仏法を流布の国の主とならん人々は、能く能く御案ありて、後生をも定め、御いのりもあるべきか。
 しかるに、日蓮、このことを疑いしゆえに、幼少の比より随分に顕密二道ならびに諸宗の一切経を、あるいは人にならい、あるいは我と開見し、勘え見て候えば、故の候いけるぞ。我が面を見ることは明鏡によるべし、国土の盛衰を計ることは仏鏡にはすぐべからず。
 仁王経・金光明最勝王経・守護経・涅槃経・法華経等の諸大乗経を開き見奉り候に、仏法に付きて国も盛え人の寿も長く、また仏法に付いて国もほろび人の寿も短かるべしとみえて候。譬えば、水は能く舟をたすけ、水は能く舟をやぶる。五穀は人をやしない、人を損ず。小波・小風は大船を損ずることかたし。大波・大風には小舟やぶれやすし。王法の曲がるは小波・小風のごとし。大国と大人をば失いがたし。仏法の失あるは大風・大波の小舟をやぶるがごとし。国のやぶるること疑いなし。
 仏記して云わく「我が滅後末代には、悪法・悪人の国をほろぼし仏法を失わんには失すべからず。譬えば、三千大千世界の草木を薪として須弥山をやくに、やけず。劫火の時、須弥山の根より大豆ばかりの火出でて須弥山やくがごとく、我が法もまたかくのごとし。悪人・外道・天魔波旬・五通等にはやぶられず。仏のごとく六通の羅漢のごとく、三衣を皮のごとく身に紆い、一鉢を両眼にあてたらん持戒の僧等と、大風の草木をなびかすがごとくなる高僧等、我が正法を失うべし。その時、梵釈・日月・四天いかりをなし、その国に大天変・大地夭等を発していさめんに、いさめられずば、その国