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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

 人王五十四代仁明天皇の御宇に、円仁和尚、漢土にわたりて、重ねて法華・真言の二宗をならいわたす。人王五十五代文徳天皇の御宇に、仁寿と斉衡とに金剛頂経の疏、蘇悉地経の疏、已上十四巻を造って、大日経の義釈に並べて真言宗の三部とごうし、比叡山の内に総持院を建立し、真言を弘通すること、この時なり。叡山に真言宗を許されしかば、座主両方を兼ねたり。しかれども、法華宗をば月のごとく、真言宗をば日のごとくといいしかば、諸人等は真言宗はすこし勝れたりとおもいけり。しかれども、座主は両方を兼ねて兼学し給いけり。大衆もまたかくのごとし。
 同じき御宇に、円珍和尚と申す人、御入唐。漢土にして法華・真言の両宗をならう。同じき御代に天安二年に帰朝。この人は、本朝にしては叡山第一の座主・義真、第二の座主・円澄、別当・光定、第三の座主・円仁等に法華・真言の両宗をならいきわめ給うのみならず、また東寺の真言をも習い給えり。その後に漢土にわたりて法華・真言の両宗をみがき給う。今の三井寺の法華真言の元祖、智証大師これなり。已上、四大師なり。
 総じて、日本国には真言宗にまた八家あり。東寺に五家、弘法大師を本とす。天台に三家、慈覚大師を本とす。
 人王八十一代をば安徳天皇と申す。父は高倉院の長子、母は太政入道の女・建礼門院なり。この王は元暦元年乙巳三月二十四日、八島にして海中に崩じ給いき。この王は源頼朝将軍にせめられて、海中のいろくずの食となり給う。人王八十二代は隠岐法皇と申す。高倉の第三王子、文治元年丙午御即位。八十三には阿波院、隠岐法皇の長子、建仁二年に位を継ぎ給う。八十四代には佐渡院、隠岐法