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不成仏の者、供養してはあしかりぬべしとしりぬ。
しかるを、後八年の法華経にたちまちに悔い還して、二乗作仏すべしと仏陀とかせ給わんに、人天大会、信仰をなすべしや。用いるべからざる上、先後の経々に疑網をなし、五十余年の説教、皆虚妄の説となりなん。されば、「四十余年にはいまだ真実を顕さず」等の経文はあらまさせか、「天魔の仏陀と現じて、後八年の経をばとかせ給うか」と疑網するところに、げにげにしげに劫・国・名号と申して二乗成仏の国をさだめ、劫をしるし、所化の弟子なんどを定めさせ給えば、教主釈尊の御語すでに二言になりぬ。自語相違と申すはこれなり。外道が仏陀を大妄語の者と咲いしことこれなり。
人天大会きょうさめてありしほどに、その時に東方宝浄世界の多宝如来、高さ五百由旬、広さ二百五十由旬の大七宝塔に乗じて、教主釈尊の、人天大会に自語相違をせめられて、とのべ、こうのべ、さまざまに宣べさせ給いしかども、不審なおはるべしとも見えず、もてあつかいておわせし時、仏前に大地より涌現して虚空にのぼり給う。例せば、暗夜に満月の東山より出ずるがごとし。七宝の塔、大虚にかからせ給いて、大地にもつかず、大虚にも付かせ給わず、天中に懸かって、宝塔の中より梵音声を出だして証明して云わく「その時、宝塔の中より大音声を出だして、歎めて言わく『善きかな、善きかな。釈迦牟尼世尊は、能く平等大慧、菩薩を教うる法にして、仏の護念したもうところの妙法華経をもって、大衆のために説きたもう。かくのごとし、かくのごとし。釈迦牟尼世尊の説きたもうところのごときは、皆これ真実なり』と」等云々。また云わく「その時、世尊は、文殊師利等、無量百千万億の旧より娑婆世界に住せる菩薩乃至人・非人等、一切の衆の前において、大神力を現じたも
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(005)開目抄 | 文永9年(’72)2月 | 51歳 | 門下一同 |