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問うて云わく、日本国は法華・涅槃有縁の地なりや否や。
答えて云わく、法華経第八に云わく「如来滅して後において、閻浮提の内に、広く流布せしめて、断絶せざらしめん」。七の巻に云わく「閻浮提に広宣流布して、断絶せしむることなけん」。涅槃経第九に云わく「この大乗経典大涅槃経もまたかくのごとし。南方の諸の菩薩のための故に、当に広く流布すべし」〈已上、経文〉。三千世界広しといえども、仏自ら法華・涅槃をもって南方を流布の処と定む。南方の諸国の中においては、日本国は殊に法華経の流布すべき処なり。
問うて云わく、その証いかん。
答えて曰わく、肇公の法華翻経後記に云わく、羅什三蔵、須利耶蘇摩三蔵に値い奉って法華経を授かる時の語に云わく「仏日西山に隠れ、遺耀東北を照らす。この典、東北の諸国に有縁なり。汝、慎んで伝弘せよ」已上。「東北」とは、日本なり。西南の天竺より東北は、日本を指すなり。故に、恵心、一乗要決に云わく「日本一州、円機純一なり。朝野・遠近同じく一乗に帰し、緇素・貴賤ことごとく成仏を期す」已上。願わくは、日本国の今の世の道俗、選択集の久習を捨てて法華・涅槃の現文に依り、肇公・恵心の日本の記を恃んで法華修行の安心を企てよ。
問うて云わく、法華経修行の者、いずれの浄土を期すべきや。
答えて曰わく、法華経二十八品の肝心たる寿量品に云わく「我は常にこの娑婆世界に在り」。また云わく「我は常にここに住す」。また云わく「我がこの土は安穏なり」文。この文のごとくんば、本地久成の円仏はこの世界に在せり。この土を捨てていずれの土を願うべきや。故に、法華経修行の者
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(023)守護国家論 | 正元元年(’59) | 38歳 |