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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

ころの時節に当たれり。「諸の小国の王」とは、日本国の王なり。中・下品の善は粟散王これなり。「師子身中の虫のごとし」とは、仏弟子の源空これなり。「諸の悪比丘」とは、所化の衆これなり。「破仏法の因縁、破国の因縁を説く」とは、上に挙ぐるところの選択集の語これなり。「その王別えずしてこの語を信聴す」とは、今の世の道俗、邪義を弁えずしてみだりにこれを信ずるなり。
 請い願わくは、道俗、法の邪正を分別して、その後正法に付いて後世を願え。今度人身を失い、三悪道に堕ちて後に後悔すとも、何ぞ及ばん。
 第二に、ただ法華の題目ばかりを唱えて三悪道を離るべきことを明かさば、
 法華経の第五に云わく「文殊師利よ。この法華経は無量の国の中において、乃至名字をも聞くことを得べからず」。第八に云わく「汝等はただ能く法華の名を受持せん者を擁護せんすら、福は量るべからず」。提婆品に云わく「妙法華経の提婆達多品を聞いて、浄心に信敬して、疑惑を生ぜずんば、地獄・餓鬼・畜生に堕ちず」。大般涅槃経名字功徳品に云わく「もし善男子・善女人有って、この経の名を聞いて悪趣に生ぜば、この処有ることなけん」〈涅槃経は法華経の流通なるが故に、これを引く〉。
 問うて云わく、ただ法華経の題目を聞くといえども、解心無くんば、いかにして三悪趣を脱れんや。
 答えて云わく、法華経流布の国に生まれて、この経の題名を聞き信を生ずるは、宿善の深厚なるによれり。たとい今生は悪人・無智なりといえども、必ず過去の宿善有るが故に、この経の名を聞いて信を致す者なり。故に悪道に堕ちず。
 問うて云わく、過去の宿善とはいかん。