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機と定む。就類・相対をもって過去の善悪を収む。「人天に生ずる人、あに過去の五戒十善無からんや」等と定め了わんぬ。もし恵心この義に背かば、あに天台宗を知れる人ならんや。
しかるに、源空、深くこの義に迷うが故に、往生要集において僻見を起こし、自ら失ち他をも誤るものなり。たまたま宿善有って実教に入りながら、一切衆生を化して権教に還らしめ、あまつさえ実教を破せしむ。あに悪師にあらずや。彼の久遠下種、大通結縁の者の、五百・三千の塵点を経るがごときは、法華の大教を捨てて爾前の権小に遷るが故に、後には権経をも捨てて六道に回りぬ。不軽軽毀の衆は、千劫阿鼻地獄に堕つ。権師を信じ、実経を弘むる者に誹謗を作したるが故なり。しかるに、源空は、我が身ただ実経を捨てて権経に入るのみにあらず、人を勧めて実経を捨てて権経に入らしめ、また権人をして実経に入らしめず。あまつさえ実経の行者を罵るの罪、永劫にも浮かび難からんか。
問うて云わく、十住毘婆沙論は一代の通論なり。難易の二道の内に、何ぞ法華・真言・涅槃を入れざるや。
答えて云わく、一代の諸大乗経において、華厳経のごときは初頓・後分有り。初頓の華厳は二乗の成・不成を論ぜず。方等部の諸経には、一向に二乗・無性闡提の成仏を斥う。般若部の諸経もこれに同じ。総じて四十余年の諸大乗経の意は、法華・涅槃・大日経等のごとくには二乗・無性の成仏を許さず。これらをもってこれを撿うるに、爾前・法華の相違は水火のごとし。
滅後の論師たる竜樹・天親もまた、ともに千部の論師なり。造るところの論に通別の二論有り。通論においてもまた二つ有り。四十余年の通論と一代五十年の通論となり。その差別を分かつに、決定
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(023)守護国家論 | 正元元年(’59) | 38歳 |