390ページ
法華経第四に多宝ならびに十方諸仏の来集の意趣を説いて云わく「法をして久しく住せしめんが故に、ここに来至したまえり」〈これ八〉。
法華経第七に法華経を行ずる者の住処を説いて云わく「如来滅して後において、応当に一心に受持・読・誦・解説・書写し、説のごとく修行すべし。在るところの国土に乃至もし経巻の住するところの処ならば、もしは園中においても、もしは林中においても、もしは樹の下においても、もしは僧坊においても、もしは白衣の舎にても、もしは殿堂に在っても、もしは山谷曠野にても、この中に皆応に塔を起てて供養すべし。所以はいかん。当に知るべし、この処は即ちこれ道場なればなり。諸仏はここにおいて阿耨多羅三藐三菩提を得たもう」〈これ九〉。
法華経の流通たる涅槃経の第九に云わく「我涅槃して後、正法いまだ滅せず。八十年を余す。その時、この経、閻浮提において当に広く流布すべし。この時、当に諸の悪比丘有って、この経を抄掠し、分かちて多分と作し、能く正法の色香味美を滅すべし。この諸の悪人、またかくのごとき経典を読誦すといえども、如来の深密の要義を滅除して世間の荘厳の文飾・無義の語を安置す。前を抄って後に著け、後を抄って前に著け、前後を中に著け、中を前後に著けん。当に知るべし、かくのごとき諸の悪比丘は、これ魔の伴侶なり乃至譬えば牧牛女の多く水を乳に加うるがごとく、諸の悪比丘もまたかくのごとし。雑うるに世語をもってし、錯ってこの経を定む。多くの衆生をして正説・正写・正取・尊重・讃歎・供養・恭敬することを得ざらしむ。この悪比丘は、利養のための故に、この経を広宣流布すること能わず。分流すべきところ、少なきこと言うに足らず。彼の牧牛の貧窮の女人、展転し
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
---|---|---|---|
(023)守護国家論 | 正元元年(’59) | 38歳 |