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故に、あるいは凡聖の教えを弁えざるが故に、あるいは権実二教を弁えざるが故に、あるいは権教を実教と謂うによるが故に、あるいは位の高下を知らざるが故なり。凡夫の習い、仏法に就いて生死の業を増すこと、その縁は一つにあらず。
中昔、邪智の上人有って、末代の愚人のために一切の宗義を破して選択集一巻を造る。名を鸞・綽・導の三師に仮りて一代を二門に分かち、実経を録して権経に入れ、法華・真言の直道を閉じて浄土三部の隘路を開く。また浄土三部の義にも順わずして権実の謗法を成し、永く四聖の種を断じて阿鼻の底に沈むべき僻見なり。しかるに、世人これに順うこと、譬えば大風の小樹の枝を吹くがごとく、門弟この人を重んずること、天衆の帝釈を敬うに似たり。
この悪義を破らんがために、また多くの書有り。いわゆる浄土決疑抄・弾選択・摧邪輪等なり。この書を造る人、皆、碩徳の名一天に弥るといえども、恐らくは、いまだ選択集の謗法の根源を顕さず。故に、還って悪法の流布を増す。譬えば、盛んなる旱魃の時に小雨を降らせば草木いよいよ枯れ、兵者を打つ刻に弱兵を先んずれば強敵ますます力を得るがごとし。
予このことを歎くあいだ、一巻の書を造って選択集の謗法の縁起を顕し、名づけて守護国家論と号す。願わくは、一切の道俗、一時の世事を止めて永劫の善苗を種えよ。今、経論をもって邪正を直す。信・謗は仏説に任せ、あえて自義を存することなし。
分かちて七門となす。一には如来の経教において権実二教を定むることを明かし、二には正像末の興廃を明かし、三には選択集の謗法の縁起を明かし、四には謗法の者を対治すべき証文を出だすこと
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(023)守護国家論 | 正元元年(’59) | 38歳 |