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「種々」等云々。「これ護法の功徳力に由るが故なり」等とは、摩訶止観の第五に云わく「散善微弱なるは動ぜしむること能わず。今、止観を修して健病虧けざれば、生死の輪を動ず」等云々。また云わく「三障四魔、紛然として競い起こる」等云々。
我、無始よりこのかた、悪王と生まれて、法華経の行者の衣食・田畠等を奪いとりせしこと、かずしらず。当世日本国の諸人の、法華経の山寺をたおすがごとし。また法華経の行者の頸を刎ぬること、その数をしらず。これらの重罪、はたせるもあり、いまだはたさざるもあるらん。果たすも、余残いまだつきず。生死を離るる時は、必ずこの重罪をけしはてて出離すべし。功徳は浅軽なり、これらの罪は深重なり。権経を行ぜしには、この重罪いまだおこらず。鉄を熱くにいとうきたわざれば、きず隠れてみえず。度々せむれば、きずあらわる。麻の子をしぼるに、つよくせめざれば、油少なきがごとし。
今、日蓮、強盛に国土の謗法を責むればこの大難の来るは、過去の重罪の今生の護法に招き出だせるなるべし。鉄の火に値わざれば黒し、火と合いぬれば赤し。木をもって急流をかけば、波山のごとし。睡れる師子に手をつくれば大いに吼ゆ。
涅槃経に云わく「譬えば貧女のごとし。居家、救護の者有ることなく、加うるにまた、病苦・飢渇の逼むるところとなって、遊行・乞丐す。他の客舎に止まり、寄って一子を生ず。この客舎の主、駆逐して去らしむ。その産していまだ久しからず、この児を携え抱いて他国に至らんと欲し、その中路において、悪風雨に遇って、寒苦並び至り、多く蚊・虻・蜂・螫・毒虫の唼い食うところとなる。恒
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(005)開目抄 | 文永9年(’72)2月 | 51歳 | 門下一同 |