に皆悔ゆ」等云々。弘の七に云わく「『鄴・洛の禅師』とは、『鄴』は相州に在り。即ち斉・魏の都する所なり。大いに仏法を興す。禅祖の一めなり、その地を王化す。時の人の意を護って、その名を出ださず。『洛』は即ち洛陽なり」等云々。六巻の般泥洹経に云わく「究竟の処を見ずとは、彼の一闡提の輩の究竟の悪業を見ざるなり」等云々。妙楽云わく「第三は最も甚だし。転た識り難きが故に」等。
無眼の者・一眼の者・邪見の者は、末法の始めの三類を見るべからず。一分の仏眼を得るもの、これをしるべし。「国王・大臣・婆羅門・居士に向かって」等云々。東春に云わく「公処に向かって法を毀り人を謗ず」等云々。夫れ、昔、像法の末には護命・修円等、奏状をささげて伝教大師を讒奏す。今、末法の始めには良観・然阿等、偽書を注して将軍家にささぐ。あに三類の怨敵にあらずや。
当世の念仏者等、天台法華宗の檀那の国王・大臣・婆羅門・居士等に向かって云わく「法華経は理深く、我らは解微かなり。法は至って深く、機は至って浅し」等と申しうとむるは、「高く聖境を推して、己が智分にあらずとす」の者にあらずや。禅宗云わく「法華経は月をさす指、禅宗は月なり。月をえて、指なにかせん。禅は仏の心、法華経は仏の言なり。仏、法華経等の一切経をとかせ給いて後、最後に一ふさの華をもって迦葉一人にさずく。そのしるしに、仏の御袈裟を迦葉に付嘱し、乃至、付法蔵の二十八・六祖までに伝う」等云々。これらの大妄語、国中を誑酔せしめてとしひさし。
また、天台真言の高僧等、名はその家にえたれども、我が宗にくらし。貪欲は深く、公家・武家をおそれて、この義を証伏し讃歎す。昔の多宝・分身の諸仏は、法華経の令法久住を証明す。今の天台宗の碩徳は、理深解微を証伏せり。かるがゆえに、日本国にただ法華経の名のみあって、得道の人一
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(005)開目抄 | 文永9年(’72)2月 | 51歳 | 門下一同 |