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て大海のしおをしり、一花を見て春を推せよ。万里をわたって宋に入らずとも、三箇年を経て霊山にいたらずとも、竜樹のごとく竜宮に入らずとも、無著菩薩のごとく弥勒菩薩にあわずとも、二所三会に値わずとも、一代の勝劣はこれをしれるなるべし。蛇は七日が内の洪水をしる、竜の眷属なるゆえ。烏は年中の吉凶をしれり、過去に陰陽師なりしゆえ。鳥はとぶ徳、人にすぐれたり。日蓮は諸経の勝劣をしること、華厳の澄観、三論の嘉祥、法相の慈恩、真言の弘法にすぐれたり。天台・伝教の跡をしのぶゆえなり。彼の人々は天台・伝教に帰せさせ給わずば、謗法の失脱れさせ給うべしや。
当世日本国に第一に富める者は日蓮なるべし。命は法華経にたてまつり、名をば後代に留むべし。大海の主となれば、諸の河神皆したがう。須弥山の王に諸の山神したがわざるべしや。法華経の六難九易を弁うれば、一切経よまざるにしたがうべし。
宝塔品の三箇の勅宣の上に、提婆品に二箇の諫暁あり。提婆達多は一闡提なり。天王如来と記せらる。涅槃経四十巻の現証は、この品にあり。善星・阿闍世等の無量の五逆・謗法の者の一りをあげ、頭をあげ、万をおさめ、枝をしたがう。一切の五逆・七逆・謗法・闡提、天王如来にあらわれ了わんぬ。毒薬変じて甘露となる。衆味にすぐれたり。竜女が成仏、これ一人にはあらず。一切の女人の成仏をあらわす。法華経已前の諸の小乗経には女人の成仏をゆるさず。諸の大乗経には成仏・往生をゆるすようなれども、あるいは改転の成仏にして一念三千の成仏にあらざれば、有名無実の成仏・往生なり。「一を挙げて諸に例す」と申して、竜女が成仏は末代の女人の成仏・往生の道をふみあけたるなるべし。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(005)開目抄 | 文永9年(’72)2月 | 51歳 | 門下一同 |