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がたく、沛公が項羽と八年漢土をあらそいし、頼朝と宗盛が七年秋津島にたたかいし、修羅と帝釈と、金翅鳥と竜王と阿耨池に諍えるも、これにはすぐべからずとしるべし。
日本国にこの法顕るること二度なり。伝教大師と日蓮となりとしれ。無眼のものは疑うべし。力及ぶべからず。この経文は、日本・漢土・月氏・竜宮・天上・十方世界の一切経の勝劣を、釈迦・多宝・十方の仏来集して定め給うなるべし。
問うて云わく、華厳経・方等経・般若経・深密経・楞伽経・大日経・涅槃経等は、九易の内か六難の内か。
答えて云わく、華厳宗の杜順・智儼・法蔵・澄観等の三蔵大師、読んで云わく「華厳経と法華経とは六難の内。名は二経なれども、所説乃至理、これ同じ。『四門の観は別なるも、真諦を見ることは同じ』のごとし」。法相の玄奘三蔵・慈恩大師等、読んで云わく「深密経と法華経とは同じく唯識の法門にして第三時の教、六難の内なり」。三論の吉蔵等、読んで云わく「般若経と法華経とは名異なるも体は同じ。二経は一法なり」。善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵等、読んで云わく「大日経と法華経とは理同じ。おなじく六難の内の経なり」。日本の弘法、読んで云わく「大日経は六難九易の内にあらず。大日経は釈迦の説くところの一切経の外、法身大日如来の所説なり」。またある人云わく「華厳経は報身如来の所説、六難九易の内にはあらず」。この四宗の元祖等かように読みければ、その流れをくむ数千の学徒等もまたこの見をいでず。
日蓮なげいて云わく、上の諸人の義を左右なく非なりといわば、当世の諸人面を向くべからず。非
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(005)開目抄 | 文永9年(’72)2月 | 51歳 | 門下一同 |