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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

しく滅度したもうといえども、宝塔の中に在して、なお法のために来りたまえり。諸人はいかんぞ勤めて法のためにせざらん○また我が分身、無量の諸仏は、恒沙等のごとく、来り法を聴かんと欲して○各妙土および弟子衆、天・人・竜神、諸の供養の事を捨てて、法をして久しく住せしめんが故に、ここに来至したまえり○譬えば大風の小樹の枝を吹くがごとし。この方便をもって、法をして久しく住せしむ。諸の大衆に告ぐ。我滅度して後、誰か能くこの経を護持し読誦せん。今、仏前において、自ら誓言を説け』と」。第二の鳳詔なり。
 「多宝如来、および我が身の集むるところの化仏は、当にこの意を知るべし○諸の善男子よ。各諦らかに思惟せよ。これはこれ難事なり。よろしく大願を発すべし。諸余の経典は、数恒沙のごとし。これらを説くといえども、いまだ難しとなすに足らず。もし須弥を接って、他方の無数の仏土に擲げ置かんも、またいまだ難しとなさず○もし仏滅して後、悪世の中において、能くこの経を説かば、これは則ち難しとなす○たとい劫焼に、乾ける草を担い負って、中に入って焼けざらんも、またいまだ難しとなさず。我滅度して後に、もしこの経を持って、一人のためにも説かば、これは則ち難しとなす○諸の善男子よ。我滅して後において、誰か能くこの経を護持し読誦せん。今、仏前において、自ら誓言を説け」等云々。第三の諫勅なり。第四・第五の二箇の諫暁、提婆品にあり。下にかくべし。
 この経文の心は眼前なり。青天に大日輪の懸かれるがごとし、白面に黶のあるににたり。しかれども、生盲の者と邪眼の者と一眼のものと、「各自らを師と謂う」の者、辺執家の者はみがたし。万難をすてて道心あらん者にしるしとどめてみせん。西王母がそののもも、輪王出世の優曇華よりもあい