91ページ
厳・真言経等の一生初地の即身成仏等は、経は権経にして過去をかくせり。種をしらざる脱なれば、趙高が位にのぼり、道鏡が王位に居せんとせしがごとし。
宗々互いに権を諍う。予これをあらそわず、ただ経に任すべし。法華経の種に依って天親菩薩は種子無上を立てたり。天台の一念三千これなり。華厳経乃至諸大乗経、大日経等の諸尊の種子、皆一念三千なり。天台智者大師一人、この法門を得給えり。
華厳宗の澄観、この義を盗んで華厳経の「心は工みなる画師のごとし」の文の神とす。真言・大日経等には二乗作仏・久遠実成・一念三千の法門これなし。善無畏三蔵、震旦に来って後、天台の止観を見て智発し、大日経の「心の実相」「我は一切の本初なり」の文の神に、天台の一念三千を盗み入れて真言宗の肝心として、その上に印と真言とをかざり、法華経と大日経との勝劣を判ずる時、理同事勝の釈をつくれり。
両界の曼陀羅の二乗作仏・十界互具は、一定、大日経にありや。第一の誑惑なり。故に、伝教大師云わく「新来の真言家は則ち筆受の相承を泯ぼし、旧到の華厳家は則ち影響の軌模を隠す」等云々。俘囚の島なんどにわたって「ほのぼのといううたは、われよみたり」なんど申さば、えぞていの者はさこそとおもうべし。漢土・日本の学者またかくのごとし。良諝和尚云わく「真言・禅門・華厳・三論乃至もし法華等に望まば、これ接引門なり」等云々。
善無畏三蔵の閻魔の責めにあずからせ給いしは、この邪見による。後に心をひるがえし、法華経に帰伏してこそ、このせめをば脱れさせ給いしか。その後、善無畏・不空等、法華経を両界の中央にお
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
---|---|---|---|
(005)開目抄 | 文永9年(’72)2月 | 51歳 | 門下一同 |