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六通の羅漢のごとくならん。この人は悪心を懐き、常に世俗の事を念い、名を阿練若に仮りて、好んで我らが過を出ださん。しかもかくのごとき言を作さん。『この諸の比丘等は、利養を貪らんがための故に、外道の論議を説く。自らこの経典を作って、世間の人を誑惑す。名聞を求めんがための故に、分別してこの経を説く』と。常に大衆の中に在って我らを毀らんと欲するが故に、国王・大臣・婆羅門・居士および余の比丘衆に向かって、誹謗して我が悪を説いて『これ邪見の人、外道の論議を説く』と謂わん」已上。
妙楽大師、この文を釈して云わく「三に七行は僭聖増上慢の者を明かす」文。経ならびに釈の心は、悪世の中に多くの比丘有って、身には三衣一鉢を帯し、阿練若に居して、行儀は大迦葉等の三明六通の羅漢のごとく、在家の諸人にあおがれて、一言を吐けば如来の金言のごとくおもわれて、法華経を行ずる人をいいやぶらんがために、国王・大臣等に向かい奉って「この人は邪見の者なり。法門は邪法なり」なんどいいうとむるなり。
上の三人の中に、第一の俗衆の毀りよりも第二の邪智の比丘の毀りはなおしのびがたし。また第二の比丘よりも第三の大衣の阿練若の僧は甚だし。
この三人は、当世の権教を手本とする文字の法師、ならびに諸経論の「言語の道断ゆ」の文を信ずる暗禅の法師、ならびに彼らを信ずる在俗等、四十余年の諸経と法華経との権実の文義を弁えざる故に、華厳・方等・般若等の「心と仏と衆生」「即心是仏」「即ち十方・西方に往く」等の文と、法華経の「諸法実相」「即ち十方・西方に往く」の文と、語の同じきをもって義理のかわれるを知らず。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(001)唱法華題目抄 | 文応元年(’60)5月28日 | 39歳 |