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うじ、一切衆生は疑網にかかるべし。寿量の一品の大切なる、これなり。
その後、仏、寿量品を説いて云わく「一切世間の天・人および阿修羅は、皆、今の釈迦牟尼仏は釈氏の宮を出でて、伽耶城を去ること遠からず、道場に坐して、阿耨多羅三藐三菩提を得たまえりと謂えり」等云々。この経文は、始め寂滅道場より終わり法華経の安楽行品にいたるまでの一切の大菩薩等の所知をあげたるなり。
「しかるに、善男子よ、我は実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由他劫なり」等云々。この文は、華厳経の三処の「始めて正覚を成ず」、阿含経に云わく「初めて成ず」、浄名経の「始め仏樹に坐す」、大集経に云わく「始めて十六年」、大日経の「我は昔道場に坐す」、仁王経の「二十九年」、無量義経の「我は先に道場」、法華経の方便品に云わく「我は始め道場に坐す」等を、一言に大虚妄なりとやぶるもんなり。
この過去常顕るる時、諸仏、皆、釈尊の分身なり。
爾前・迹門の時は、諸仏、釈尊に肩を並べて各修各行の仏なり。かるがゆえに、諸仏を本尊とする者、釈尊等を下す。今、華厳の台上、方等・般若・大日経等の諸仏は皆、釈尊の眷属なり。仏、三十成道の御時は、大梵天王・第六天等の知行の娑婆世界を奪い取り給いき。今、爾前・迹門にして十方を浄土とごうしてこの土を穢土ととかれしを打ちかえして、この土は本土となり、十方の浄土は垂迹の穢土となる。
仏は久遠の仏なれば、迹化・他方の大菩薩も教主釈尊の御弟子なり。一切経の中にこの寿量品まし
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(005)開目抄 | 文永9年(’72)2月 | 51歳 | 門下一同 |