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師なり」等云々。不思議なりしことなり。外典に申す「ある者道をゆけば、路のほとりに年三十ばかりなるわかものが八十ばかりなる老人をとらえて打ちけり。『いかなることぞ』ととえば、『この老翁は我が子なり』なんど申す」とかたるにもにたり。
されば、弥勒菩薩等疑って云わく「世尊よ。如来は太子たりし時、釈の宮を出でて、伽耶城を去ること遠からず、道場に坐して、阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たまえり。これより已来、始めて四十余年を過ぎたり。世尊よ。いかんぞこの少時において、大いに仏事を作したまえる」等云々。一切の菩薩、始め華厳経より四十余年、会々に疑いをもうけて一切衆生の疑網をはらす中に、この疑い第一の疑いなるべし。無量義経の大荘厳等の八万の大士、四十余年と今との歴劫・疾成の疑いにも超過せり。
観無量寿経に、韋提希夫人の子・阿闍世王の、提婆にすかされて父の王をいましめ母を殺さんとせしが耆婆・月光におどされて母をはなちたりし時、仏を請じたてまつって、まず第一の問いに云わく「我、宿、何の罪あってか、この悪子を生める。世尊はまた何らの因縁有ってか提婆達多とともに眷属となりたまえる」等云々。この疑いの中に「世尊はまた何らの因縁有ってか」等の疑いは大いなる大事なり。輪王は敵とともに生まれず、帝釈は鬼とともならず。仏は無量劫の慈悲者なり。いかに大怨とともにはまします。還って仏にはましまさざるかと疑うなるべし。しかれども、仏答え給わず。されば、観経を読誦せん人、法華経の提婆品へ入らずば、いたずらごとなるべし。大涅槃経に迦葉菩薩の三十六の問いもこれには及ばず。されば、仏この疑いを晴らさせ給わずば、一代の聖教は泡沫にど
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(005)開目抄 | 文永9年(’72)2月 | 51歳 | 門下一同 |