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(075)
弟子檀那中への御状
文永5年(ʼ68)10月11日 47歳 門下一同
大蒙古国の簡牒到来について、十一通の書状をもって方々へ申せしめ候。定めて日蓮が弟子檀那、流罪・死罪一定ならん。少しもこれを驚くことなかれ。
方々への強言申すに及ばず、これしかしながら「しかも強いてこれを毒す」の故なり。日蓮庶幾せしむるところに候。各々用心有るべし。少しも妻子・眷属を憶うことなかれ、権威を恐るることなかれ。今度、生死の縛を切って仏果を遂げしめ給え。
鎌倉殿・宿屋入道・平左衛門尉・弥源太・建長寺・寿福寺・極楽寺・多宝寺・浄光明寺・大仏殿・長楽寺〈已上、十一箇所〉。よって十一通の状を書して諫訴せしめ候い畢わんぬ。定めて子細有るべし。日蓮が所に来って書状等披見せしめ給え。恐々謹言。
文永五年戊辰十月十一日 日蓮 花押
日蓮弟子檀那中
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(075)弟子檀那中への御状 | 文永5年(’68)10月11日 | 47歳 | 門下一同 |